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猫「夜。眠気の周期がおかしいです」
葵「ふむ」
猫「九時頃ピークがやってくるのです。でも寝るには早いのでレポートとか眠い目こすりこすりやっていると……寝るか、と言う気分になる十一時頃、ピーク通り越して眠くならないのです……!!」
葵「あー、あるわねぇ」
猫「と言う訳で昨日レポート一つ無事終わったのはよいのですけどね?」
葵「おー、良かったわね?」
猫「今日の四限爆睡してしまいました」
葵「……あーぁ」
猫「良いんですけどね? 淡々と話されるのを聞く授業なので、何とかなりそうなので」
葵「……何とかなるの?」
猫「…………ゴメンナサイ。頑張ります」
葵「がんばー」
猫「ぐだぐだな感じですが今日はこの辺で~! Web拍手ありがとうございました!」
今回特に意味は無しー
ただの戯言です。きっとぐだぐだで終わりますのでスルー推奨!
言葉というのは必要な時に無力で非情な時に残酷だったりするものだからこそ、使うタイミングが難しいなぁと思ったり。
責任を取るのは大変なので出来る限りは逃げ出したかったり、逃げ出す為に責任を取らなきゃ行けないことを根本から消してしまいたくなったりするのはB型の基質なのかなぁと先日血液型傾向の本を読んだ影響でつらつら考えたりします。
ホントに自分の失敗は嫌で嫌で嫌なので全部この世から抹消したい衝動に駆られます。証拠を消して記憶も抹消して忘れてそれでも人にバレたら嫌だなぁとか、あるいは見ている人の記憶は消せないので悶々としたりとか。
失敗を隠滅する努力をするよりは、次に失敗しない為に沢山沢山反省して改善していく方が生産的で前向きなくせに、ついつい楽な方へと流れたがるようです。
それでは行けないなぁと思いつつやっぱり反射的に隠滅しようとしてしまう思考を直したいななんて思う今日この頃です。
優しさは余裕から生まれる産物であると思ったりするのですが、そんな優しさもやっぱり貰えると嬉しかったりするので与えられる存在になりたいなと思いつつ、度を超せばそれは嫌味になってしまうと思うので世の中は難しいなぁと思ったりします。
打算のない優しさは無いんじゃないかと思ってそれは少し悲しいことなのかも知れませんが、打算の優しさでも偽物の優しさでも続けていればいつか本物になれるんじゃないかと思ったりするのです。
嘘だって百回千回一万回と吐き続ければいつか本当になるのではないかと思ったりします。
嘘の優しさが繰り返すうちに本物になるのは良いんじゃないかなと思ったりするのです。
本物なんて無い、でもいつか本物になるかも知れない。そんな風に夢見たりする訳です。
愚痴っぽくて愚痴でなく(?)意味がありそうで全くない、こういうのが「戯言」でいいのでしょうかね?^^;
隠してないですがホント深い意味は全くないので心配ご無用ですよー
この時考えてた事を残してみる(これぞ日記?)なだけの話題なのでしたー